自由と束縛

(2021.12.02)

11月に各園で作品展があった。子どもの絵は、自由奔放、やりたい放題で面白い。ピカソが「ようやく、子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのに、随分時間がかかったものだ」と言っている。上手にとか、本物そっくりにとかでなく、純粋無垢に、既成概念にとらわれず、感じたことを自由に、心のままに表現することは、大人にはできない。年齢が下がるほど、形にとらわれず、思い切り自由に描いている。色も形も自由、純良な生気と感覚を発揮している。しかし、年齢が上がるにつれ、このみずみずしい面白さが次第に整理され、型にはまり、面白味が薄れていく。

ノーベル賞受賞者は、子どもの様に自由にやりたいことを、とことん追求していた。寝食を忘れて、研究に没頭していたら、成果が出ただけだと言っている。遊びに、絵画に、自由に取り組んでいる子どもと同じだ、と思った。自分がやりたいと思うことを、誰が何と言おうと、やり通すところに、人間の仕事の本当の原動力がある。子ども達が自由にやりたい事をやっている時が、正にそうである。他から見たら、どんなに大変なことかと思えることも、自分がやりたいことはやり通してしまう。こういう「力」「心性」が、そのまま無垢に作動して出てくるのが、幼児の絵画である。これが教育や躾の枠組にはめられて、整えられ、同じに均一化されると同じ型になり、個性が薄められ、萎えいく。

ノーベル賞受賞者だけでなく、世界で素晴らしい仕事や成果を上げた人を見ると、学校の成績は、必ずしも良いとは言えない。しかし、自分が興味・関心を持ったこと、やりたいと思ったことは、どんな困難にあっても、他から見て辛く、苦しいと思えることも、やり通してしまう。「研究が面白くて、仕事が面白くて、夢中になってやりました。」と言っている。IT企業の起業家も、廊下のソファーに寝ながら夢中で仕事をして成功している。国や世界に貢献した政治家・社会活動家も同様である。

受験競争が過烈で、教育に過重な負担がかかる近くの国からは、ノーベル賞受賞者は出ていない。これからは、ただただ暗記競争をして、不用な知識の量で評価が決まる教育を推し進める社会は、衰退していくのではないか。自分がやりたいことを、楽しくやり通していくことで、社会に花開くことになったら、社会的にも素晴らしいことであり、本人にとっても素晴らしい人生になる。同じことを暗唱させ、一律に縛って均一化した人間を作り、知識の量を競わせる社会と、一人一人の能力を自由に発揮して、やりたいことを思い切りやらせる社会では、未来の発展は違ってくる。