随分昔のことだが、いつも「園長先生!」と抱き着いてきて、私にまとわりついていたA君が、すっかりおとなしくなって、私を見ても、蚊の鳴くような小さな声で「コンニチワ」と言って目をそらしてしまった。園にいた時は集団になじまず、集まりの時は、決まって暴れまわり、みんなでやることを邪魔していたのに、小学校では静かに座っているとのこと。何故か、悲しくなってしまった。
ル・ボン著「群生心理―大衆の暴走」で、1国の教育を見れば、その国の運命が予想される、と述べている。急激に変化する世界の中で,今だに暗誦が知力を発達させると信じ込んでいる国がある。知識詰めこみ型、一斉、集団、一方向性の人間を造り、人を平均化し、安定させることがあるが、創造的思考になじまない。現代で、人生を成功させる条件は、判断力、創意、経験、気概などである。これらは教科書の中で学べるものではない。教科書は参考の資料、思考の基礎資料であって、PC、スマホで何でも即座に調べられる現在、頭に詰め込むのは無用。経験、職業教育こそ重要、そこから自分で考えることこそ、大切であると述べている。
もう一冊、「発達障害という才能」と言う本では、発達障害者を問題児としてとらえず、前向きに、社会にとってとても有意義な人としてとらえている。これらの人々は、社会、文化をがらりと変える力を持っている。この力を社会は活かすべき、そして、この障害を持った成功者を紹介している。ASD(自閉症スペクトラム障害)、主に対人関係の障害と特定の事物のこだわりが強い人として、イーロンマスク、オードリータンがあげられる。ADHD(注意欠如多動障害)、衝動性、落ち着きがないことが特徴。エジソン、モーツアルト、ピカソがあげられる。日本ではニトリの社長が自ら公表している。そして、ダビンチは両方兼ねている。
これらの人を生かすためには、周囲に当人の能力を見抜き、適切なサポートをする人と、制約なく活動できる場所が必要である。しきたり、世間の空気、集団、規則に強制的に従わせようとする社会(まさに日本)であってはならない。確かに日本人は勤勉、几帳面であり、それが強みでもある。しかし、そこから外れた人を抑圧せず、その過剰な集中力や、発想力を大いに生かすことが大切である。一斉、集団で一緒にやることも大切であるが、集団になじまないからと抑え込んで意欲を押しつぶし、無気力にして、集団に押し込んではならない。これは発達障害児に限ったことではない。全ての子が、豊かな個性と無限の可能性を持っている。一人一人の子ども達の、主体性と自主性を尊重しなければならない。