子ども達に希望を語ろう

(2022.07.01)

小中学校の教育目標は、「生きる力」を育てることです。「生きる力」とは、自ら課題を見つけ、自らが考え、決断し、そして、実行することだと言います。 しかし、それだけでは足りません。実行し、「自ら責任を負う」ところまでいかなければならないと思います。責任を負うとは、行った結果について自らだけでなく、社会に対しても責任を負うことです。自分の周りの人々に対しても、誠実であることです。

しかし、前途の内容が「生きる力」と言えるでしょうか。「生きる力」とは、夢や希望をどれだけ持っているか、で違ってくると思います。ナチスの収容所で生き残った人々は、体力がある人ではなく、生きる「希望」を持っていた人だそうです。人は、先が見えない時、夢や希望を失った時に絶望します。どんなに苦しくとも、一筋の光さえあれば、そこに向かって前進します。ナチスの絶望的な弾圧の中でさえ、ルイ・アラゴンは叫びました。「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」と。

私たちは、子ども達に希望を語ってきたでしょうか。「希望」を語ることは、人生は楽しい、人といることは楽しいと言うことを体で覚え、心に浸み込ませることです。楽しい体験と思い出を、たくさん持てる生活を子ども達に与えることです。楽しい体験とは、「自己充実」することです。「自己充実」は目的もなく、ただ遊んでいるだけの時にはありえません。自己課題に挑戦し、失敗を乗り越えた時に実現します。小中学校では、授業がわかり、学校がおもしろい時に、幼稚園では、保育の中味が充実し、園生活が楽しい時に実現します。

日本軍に蹂躙された絶望的な祖国を思いながら「絶望の虚妄なることは希望に同じ」と魯迅は言っています。今、希望を失いかけている日本と世界に問いかけているような気がします。圧倒的な武力と暴虐の中でもウクライナやミャンマーの民衆は屈していません。どん底の今こそ、「希望」の時です。そして、子ども達は未来です。希望そのものです。この子らから、希望、夢を奪うようなことを許してはなりません。