大人が出る幕?子どもの問題でしょう!

(2022.09.01)

幼稚園のお泊り会の夕食の片づけが終わった頃、A子ちゃんがB君に詰め寄って抗議していた。数人の子が集まり、不穏な雰囲気。知らんふりをして、聞き耳を立てていると、席取りの際にAがBにはじき出されたことが発端だったようだ。「何で、私をのけ者にしたの?」と聞こえた。「そんなことしてないよ」と取り合わないB、周囲を囲んでいた子達と遊び始める。それでも、Aは執拗に追いかけ追求する。とうとうBが「わかった、悪かった、もうしない」と謝った。Aは涙ぐんで許した。男の子達にも笑顔が戻った。私と目が合った。「よくやった、話し合うことが大切だよね」と言った。

3人の弁護士によるシンポジウムで、一人の男性が、「自分の子がいじめにあって、学校に訴えても、教育委員会に訴えても動かない、どうしたらいいか」と質問があった。すると弁護士の一人が「国会議員や県会議員に訴え、県や国の教育機関を動かした方がいい」と言い出した。私は、オイオイ、チョットマテヨ!と思った。子ども達の間で起こったことに、国や県、議員が関わる問題か?さらに、権力?を引き出して「お上のおさた」を仰ぐやり方に「何、言ってやがる」と性来の反骨心がムラムラと起こった。

いじめは、子どもの世界では昔からあった。しかし、昔の子どもは開放的で、離合集散し、こちらのグループではじかれても、他のグループに加わったり、いじめをする子がみんなから非難されたり、いじめられている子がいると、その子を守り、助ける子が現われた。ケンカをしても、翌日には何事もなかったように仲良く挨拶して、ケロッとしていた。しかし、今の子ども達は幼児期から、絡み合い、じゃれつき、取っ組みあってケンカし、遊ぶ機会を奪われてしまった。大喧嘩して取っ組み合うことも、大声で言い合う事もない。子どもの集団が狭く、固定化され、その小さく閉鎖的な世界からはずされると、生きていけない。イジメがあると、イジメられている子を助けるどころか、自分がイジメられないように、無視するか、イジメに同調して身を守る陰湿な世界なのだ。片寄った偏差値でランク付けし、個性も特性も認めず、子ども達を狭い世界に押し込んでしまった結果が今のイジメだ。

イジメが問題となると、当事者である子どもの姿がない。教育委員会や議員が中心になるが、何かおかしいと感じていた。子ども達とクラス・学校はどうなっているのか。子ども達が自分の問題として、自ら解決しない限りイジメはなくならない。イジメが人間の尊厳を傷つけ、死に至るまで追い込んでしまうことがあること、そして、一人ひとりがみんな尊重される豊かで尊い命であることを学ぶために、クラスで、学校で、一日中授業をつぶしてでも、徹底的に話し合い理解する貴重なチャンスである。授業より、人間として大切なことを学ぶチャンスである。大人が出てきて解決する問題ではない。もう一つ、子どもを開放し、自由に遊ぶ中で、多様な人やグループと関わり、人と関わり合うことが楽しいこと、自分も他人もかけがえのない存在であることを学んで欲しい。