運動会が終わって

(2022.11.01)

コロナの為、運動会が中止になったり、参加者を制限したり、お弁当なしで、縮小になった。やはり運動会は、秋晴れの青空の下で、家族そろって思い切り体をうごかし、笑い転げて、お昼には輪になってお弁当を広げる、村祭りの情景が良い。来年こそ、コロナ前の運動会に戻したい。

小学校の近くに住んでいる友人が「運動会の季節になるとゆううつになる。なんであんなに叱咤・命令しなければならないのか」と言っていた。ある園を訪ねた時、園庭でマーチング、組体操、リレーと、運動会の練習を延々と行っていた。子ども達は笛に従って一糸乱れず動いていた。笑顔がなかった。疲れと諦めが漂っていた。競う楽しさもあるが、大切なのは思い切り体を動かし、全力を出し切る爽快感、楽しさを味わうことである。勝ち負けより、そこを評価し誉めるようにしている。負ければ悔しい。勝負だけだと、屈辱を味わい、劣等感を持つことになる。それだけなら運動会は無用である。負けても全力を出し、楽しむことを、評価し大切にしている。

親や教師は、指示命令どおり、一糸乱れず動いていると、とても満足し、安心する。自由に、思い通りに行動していると不安になる。だから大人はマーチングが好きである。マーチングは隊形変化しながら演奏するので、厳しい指導と、練習が欠かせない。遊ぶ時間もなくなる。幼児の発達・特性を知ると、それがいかに有害であるか分かる。幼児は大人の圧力の前では無力である。強い指示・命令の下では従わざるを得ない。これが続くと指示・命令の通りには動くようになるが、指示待ち人間になってしまう。これからの時代は、ますます自由で、自発的・自主的・主体的な人間が必要になる。

下記は、昔出していた本園のパンフレットの文章です。

「あなたは、今、いきいきと生活していますか・・・」いきいきと生活している人は、自主性が実現されて、常に創造的に物を考える人です。子ども達の瞳が輝いていない時には、その保育がいかにまとまっており、何かを良くやったとしても、いきいきしているとは言えません。大人は、子ども達が一糸乱れずに、動いていると感動して涙をながすことさえあります。それは『揃ってできた』ということに感動してのことです。今までの教育では、自由が奪われ、個性は認められず、右へならえの服従を強制することが多かったからです。幼児期は根っこの時です。花を咲かせることを急いではいけないのです。二度とない貴重な時だから・・・幼児期には幼児期にふさわしい生活をさせなければ取返しができません。子ども達が、豊かな自然の中で、自由にいきいきと生活する環境を守っていきます。