子どもと一緒に生活していて、大事にしているのは、子どもの気持を理解することだが、これが一番難しい。日々悩み、考える。
昔、父母の会の研修会で、〇〇研究会の講師(?)が、「赤ちゃんが泣き止まないので、哺乳瓶を渡すと泣き止んだ。しかし、ミルクは飲もうとしない。哺乳瓶を取ると、又泣き出した。渡すと泣き止んだ。」そこまで話し、急に私に「園長先生、どうしてだかわかりますか?」と質問された。私は、研究団体と話が、いかがわしいので、後方に座って、外の子どもの声を聞いていたので、急の質問にドギマギした。その場にいたわけでないのに、分かるわけない。すると「赤ちゃんは、瓶の動物の絵が気にいっていたのです。」と自慢げに言った。口のきけない赤ちゃんが、そう言ったわけでもない。本当のことは分からないはずだ。瓶を持ちたかっただけかもしれない。大体、それが分かったと言って、何の意味もない。「それがどうした」と言いたかった。私は赤ちゃんの心が分かる、と言いたかっただけなのか。
先生方の研修会で、参加者の一人が「いつも、園に来ると、誰とも遊ぼうとせず、園庭の端で、一日中、砂いじりしていて、いくら声を掛けても一緒に遊ぼうとしない子がいるのですが、どうしたらいいでしょう」と質問した。すると講師は「そういう子は、見て参加しているので、大丈夫です。そのうち参加してきますから。」と言った。そのうち参加してくるのは確かだが、うつむいて、下ばかり見て、指先で砂をいじっている子が、どうして「見て」「参加」していると言えるのかと思った。優しいお母さんから離れ、誰も知らない中に放り込まれ、不安で、心細く、下ばかり見て、砂いじりしかできないのかも知れない。「良く分からないけど、私は君の味方だよ、安心しな、絶対に守ってやる。君のこと大好きだよ、君と一緒に遊びたい。」と寄り添うことが大切だと思う。
幼児教育・保育で大切なことは、幼児理解と全面的受容である。幼児理解と言っても、完全に理解することはできない。しかし、幼児に寄り添い、思い続けること、心を寄せることが大切である。相手を思っていると、相手に通じるものである。人間は心が通じ合う動物である。全面的受容と言っても、全て認めるというより、予見なしに、一旦全てを受け入れ、理解に努めることである。
テレビの中の心理学者は、さも分かり切っているが如く、確信的に、「人間は〇〇だから、〇〇なのです。」と断言する。しかし、日本の心理学の第一人者、河合隼雄先生は、人の心のうちを聞かれると、「難しいおまんなー」と言って考え込む。「人の心はなかなかわからんもんです。」と言って考え込む。大先生は「そんなに簡単に人間の心は分かりませんよ」と言っているのだ。私達にできることは、人の心を思い、考え、理解に努めることだ。