イスラエル人家族が日本旅行を楽しんでいる様子と、現地のプール付き豪邸生活を知人から見せられた。高い壁の中に押し込められ、爆撃を受けているパレスチナの惨状に、最近観た「関心領域」という映画を思い出した。虐殺場面などなかったが、アウシュビッツ収容所長一家は、壁を隔てた隣に住んでいて、悲鳴も銃声も聞こえたはず。それなのに、何も気に止めることなく、囚人から奪った高価な物を身にまとい、囚人を召使に使って、豊かな生活を送っていた。かつて、悲惨な目にあったイスラエル人が、今度は、ガザのパレスチナの人々の悲鳴に無関心でいる。同じ事はロシアとウクライナの間にもある。侵略を防衛のための侵攻といわれ、偽情報を信じ込んでいるロシアの人々は、ウクライナの痛み、苦しみを想像することなく、何も感じないのだろうか?アメリカでも、排他と虚偽をふりまき、差別発言で恐怖と分断をはかり、そして、子ども達の未来に対する想像もせず、気候変動を否定している人がいる。
いじめが増えて、重大事態が過去最多になっている。いじめは自死に至る程の苦しみと、心に消えることのない深い傷を受ける。保護者に「どういう子に育てたいですか?」と聞くと「健康で心優しい子」という。優しいとは、まさに人を憂いると書く。人の立場になって、その人のことを思うことである。いじめは、いじめられる相手の気持ち、辛さを想像できないのである。子ども達の想像力が、次第に”乾いて”きている。
私達人間は、他人の痛み・苦しみを想像できないのだろうか。元京都大学長の山極寿一さんは、「人間は元来、目の動き、顔の表情などで相手の心を読み、相手を察する能力をもっていた。そのコミュニケーションの方が原初であって、言葉だけでなく、対面することが大切である。そして、心と体を相手と一体化し、相手の気持ちになる。それが共感するということである。人と人が共に感じ、協同する〝共感力〟が人類を進化させ、発展させた。」と述べている。しかし、スマホ脳に陥り、SNSで炎上し、洗脳され、自分の頭でじっくり考え、想像することができなくなっている。心と体でじゃれつき合い、ぶつかり合い、心と心が通じ合う体験〝遊び〟をさせなければ、人に対する想像力は育たない。絵本を読み聞かせ、お話を聞かせ、想像の世界を体験したり、自然の事象や変化に気づき、考え、想像することができる子ども達の環境を守っていきたい。そして、未来の地球環境に対しても、他人に対しても、じっくり考え、想像できるような人になって欲しい。