昨年末に行われた小学生のサッカー大会で選手登録した749人のうち、130人が出場せずに大会を終えたという。登録されなかった子、登録されたが、遠くからやって来ても、一度もピッチに立てず、帰った子どもの気持を思うと心が痛んだ。
少年サッカークラブを作ったことがある。たくさんの子ども達が集まり、メンバーが増え続け、外部のチームと試合するようになった。そして、県大会に出場し、学年別大会で優勝した。すると、親も盛り上がり、応援も過熱した。勝敗にこだわるようになった。勝つために子どもを選別し、レギュラーをつくることになる。選ばれなかった子は、試合に出られない。試合経験を得られる子と、体験の差ができる。大きな差になる。そこで、大会に出場できない子にも試合経験ができるように、練習試合をしようと呼び掛けた。しかし、大会の勝敗に夢中になった大人からは賛同を得られなかった。
昔は、学校から帰ると、近くの空地や路地に自然と子ども達が集まり、年上の子も年下の子も混じって、今は見かけられなくなった草野球や草サッカーが始まる。年令も体力も技術も関係なく、誰もが平等に参加でき、勝敗にこだわらず遊んだ。幼稚園では、子ども達が自然に集まって来て、サッカーやケリ野球をすることがあるが、私が入るとバランスが崩れてしまうことや、子ども同士が教え合ってゲームを作ることの妨げになるので、積極的には入らないようにしている。入ると、審判だけしてと、おいだされることがある。
幼児期は、同じ年令でも一年近くの差がある。体格も体力も大きな差がある。同じ月令でも早く成長する子もいれば、後から急に成長する子もいる。早くから峻別して競わせることは、子どもの発達に害がある。
大切なのは将来の芽を摘まないこと。全ての子にプレーをするチャンスを平等に与え、同じ経験をさせ、ゲームを楽しむことができることである。これは、幼少期のすべてに言えることである。早く発達することだけが、良いわけではない。大人は、もっとゆったりと大らかに子どもを見守ることが大切である。