「みんな一緒がいい時」

(2024.11.1)

 私達大人は、個性や価値観の多様性を尊重すると言いながら、みんなと同じでないと、不安になったり、落ち着かなくなったりしがちです。だから、いつもみんなと同じかどうか、そろっているかどうか心配します。そして、集団が整っていることを重視します。しかし、集団生活のルールは守らなければならないこと、自分勝手な我が儘は許されないことは当然のこととして、揃っているか整っているかより、一人ひとりが自己充実しているか、自己発揮しているかこそが大切なことだと思います。だから、みんな同じでなくていいと思うのですが “みんな一緒” の方がいい時もあります。

 今年も筑波登山に出掛けました。曇りの予報でしたが、思い切って出かけました。ミストサウナの様な濃霧の中でした。岩が濡れていて滑るので「追い越し禁止、岩に登らない、ゆっくりと登る」と伝えて登り始めましたが、早い子はドンドン追い越して前に出たがりました。危険なので声を枯らして注意を続けたのでいつもより疲れました。

 数年前にハンディのあるTちゃんと一緒に登った時の事を思い出しました。元気の良いグループは先を争って登るので、頂上付近のお弁当を食べる場所に着く頃には、先頭集団と最後尾とでは、かなりの時間の開きができてしまいます。着くとすぐに、「飲み物は飲んでいいよ」と言いました。しばらくすると、子ども達が「お弁当を食べていい?」と何度も聞いてきました。早く登った子は、体調も良いので、食べるのも早いのに、遅れてきた子は、疲れ切っているので、食べるのも遅くなり、ますます遅れてしまうことになります。時間も早いし、寒くて待ちきれないという状況でもありませんでした。私は、「一緒に登ったふたばの仲間が、早くみんなに追いつこうと、調子が悪くて、苦しみながら登っている子も、足が弱くて、フラフラしながら頑張っている子もいるんだ。待ってあげようよ。」と言うと、子ども達は「うん、わかった。待っている。」と言ってくれました。

 私は、今来た道を迎えに戻りました。山道を下って来る大きなT先生とハンディのある小さなTちゃんの姿が現われました。私が手を差し出すと、Tちゃんはそれを振り払いました。「自分の力だけで登るんだ」という強い意志を感じました。待っている子ども達が、総出で迎え「Tちゃんガンバレ」コールが上がりました。Tちゃんはオリンピックのマラソン最終走者のように、ヨロヨロしながら両手を挙げて応えました。そして “みんな一緒に” におにぎりを食べました。